明治17年に茨城県で発行された「勧業年報」では、太田町東一町20番地の「稲田屋」の屋号を見つけることができる。この赤煉瓦蔵は、明治43年にこの地で酒造業を営んでいた「稲田屋」の稲田敬造氏が建造した。茨城県内の明治期に於ける三階建ての赤煉瓦蔵が少ないこともあり、平成21年常陸太田市から委託を受けた筑波大学によって学術調査が行われた。
建築にあたったのは、当時の太田町金井町在住の宮大工棟梁齋藤辰吉氏であり、同時期に建造された国の重要文化財である、旧太田中学校講堂の影響が感じられる興味深い作風となっている。特に煉瓦蔵の三階の天井部分の柱と梁の組み方の美しさは、齋藤辰吉氏の卓抜した技術の粋が凝縮されており、見る人を楽しませている。
往時は隣地に赤煉瓦二階の外側漆喰跡から繋がる土蔵二階の商家があり、敷地内には三つの井戸跡や裏の門柱、更に敷地を遮る煉瓦塀が残っており豪商「稲田屋」の姿を想像することができる。
常陸太田地区 |
常陸太田市東一町2295-2 |