町田宿中通りの太田警察署町田駐在所の北側には、東に入る市道があります。町田焼窯跡は、その市道を300mほど進んだ先に残っています。町田焼は第九代水戸藩主・徳川斉昭が産業振興の一環として押し進めた製陶事業により、領内の「偕楽焼」や現在の栃木県馬頭町の「小砂焼」などとともに設けられた窯でしたが、天保の改革による藩財政の都合などにより思うように進まず、明治元(1868)年頃に廃窯となってしまいました。しかし、今も残る町田焼の名と窯場跡は、往時の様子を思い起こさせてくれます。なお、近年では、地元町田町住民の呼びかけにより、窯跡の発掘調査や町田焼の復興が進められています。
水府地区 |
常陸太田市町田町675 他 |
0294-72-3210(郷土資料館) |